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くるみとあんずの散歩道

ボンの思い出Part3

ボンは私が高校生のころやって来て、

ペットと飼い主以上の心の絆を感じ合い(?)ながら、月日が流れていきました。

2年後には、やはり捨て子のウエスティーのアー坊、

更に3年後、何の種類か解らないぐらい色々混ざっていたが美人の花ちゃん(同じく捨て子)

と2人の後輩がやって来たあとも、堂々と男気のある兄貴でした。



「ウチを丸ごと犬小屋にする気かい!」 と、犬嫌いの母、

「へっ? どこに犬がいるの? 人間だよ、人間!」  堂々ととぼける、その娘。

ワンコたちも“口うるさいオババがいるが、苛めはしない”ことが解っていて、

母が何をわめこうが、怖がる様子はありませんでした。

愛嬌のある器量良しの花ちゃんは、ボンのお気に入り。

社交的で楽天家のアー坊は、ボンとは正反対の性格で相性はイマイチ。

みんなで行く散歩の、賑やかで楽しいこと。

犬付き合いの苦手なボンも、次第にお友達が出来て来ました。

そんな幸せな毎日にも、大なり小なり苦労はありました。

頑強な身体を誇っていた父が病に倒れ、入退院を繰り返し、

同居の祖母は寝たきりになり、半年後には他界。

自宅介護を臨んだ大柄な祖母の世話は、自分が倒れるかと思うほどでした。

そして、私自身が嫁ぎ、

嫁いだ直後に夫がストレス性胃潰瘍で胃を全摘出。

家族も自分も健康なときには考えもしないことですが、

こうして立て続けに病人の世話に追われると、ワンコへの目が行き届かなくなります。



結婚後の私は、実家の1軒おいて隣に暮らしてました。

ボンは夫に懐かなかったので、アー坊と花を引き取り

今まで通り実家で暮らすボンを、私が赴き毎日散歩や餌の世話をしていました。

そうして3年が経ったある日、ボンの口の中に腫瘍が見つかったのです。

当時は今ほど動物医療が進んでいなかったためか、

充分な治療を受けさせてはやれなかったことが、悔やまれてなりません。

思い出すたび身を切られる思いがしています。

毎日私が水薬を作って、口の中を消毒してあげるのですが、

従順なボンは素直に口を開けて、私に従ってくれました。



その後、私は待ち望んでいた子を授かり、喜びを感じていた矢先のこと、

突然ボンが消えてしまったのです。

勝手口を出て、裏木戸を自分で開け、どこかに行ってしまったのです。

ボンの行きそうな所を一晩中探し回り、

警察にも届け、保健所にも足を運び(可愛そうな犬がたくさんいて見るも無残でした)、

迷い犬を探している記事を、新聞・チラシに載せ、ポスターを張り、

八方手を尽くしたのですが、見つかりませんでした。

忽然とボンは消えてしまったのです。


「自分の病を感じ取っていて、死に場所を求めて行ったのでしょう」 と言う人もいました。

「とっくに死んでいたはずの犬を救って、あそこまで幸せにしてやったんだから…」

「きっと、感謝しているよ」

何を言われても、ショックと深い悲しみで、私は気も狂わんばかりでした。

病気の家族の世話ばかり気にかけ、手元にはアー坊と花を置き、

その上、子供を授かったと浮かれる私に嫌気がさして、ボンは出て行ったに違いない…と。

ひと月探しても何の情報もなく、叔母と私は両国・回向院でお経をあげて頂きました。

生きているのなら、飼い主の元に帰りなさい、

死んでいるのなら極楽浄土へ行けるように…というお経でした。


月日が経ち、遠縁の叔父の通夜の席で、その一人息子と私が話したときのこと。

「お父さん、急に逝っちゃったんだよ。何で、僕に甘えてくれなかったんだ。

もっと、手をかけて上げたかったのに! 水臭いよね!!」

私は心に浮かんだことを正直に話しました。

「おじさん、子供を悲しませたくなかったのよ。

手をかけて、毎日、辛い思いをさせたくなかったのよ。」

言い終えて私はハッとしました。

ボンは稀に見る優しい子でした。

私との絆は絶対的なものでした。

ボンは私に苦労をさせまいと、自ら死出の旅に行ったのではないか、と。

そう思ったところで、最期まで愛情を注ぎ、看取ってやれなかった悲しみは癒えません。

今でも思い出すたび、胸の痛みと共に、涙ながらに詫びを言っている私です。


『くるみとあんずの散歩道』を通して、お友達になって下さったみなさん、

愛犬を亡くした悲しみに今も、胸を痛めておいでの方もいらっしゃることでしょう。

きっと、この痛みは消えないのでしょうが、

今を明るく元気に生きる私達の姿が、旅立った子たちを安心させるに違いありません。

そしていつか私達も、先に旅立って行った子たちと手を携える日が来るのでしょう。

私のブログ仲間(先輩)『オレちゃま、じぃ!』のブログから、ご紹介します。

私もいつかこの、『虹の橋』を愛する子たちと渡って行くのです。





   虹の橋


 天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。

 この地上にいる誰かと愛しあっていた動物たちは、
 死ぬと『虹の橋』へ行くのです。
 そこには草地や丘があり、彼らはみんなで走り回って遊ぶのです。
 たっぷりの食べ物と水、そして日の光に恵まれ、
 彼らは暖かく快適に過ごしているのです。


病気だった子も年老いていた子も、みんな元気を取り戻し、
傷ついていたり不自由なからだになっていた子も、
元のからだを取り戻すのです。まるで過ぎた日の夢のように。

みんな幸せで満ち足りているけれど、ひとつだけ不満があるのです。
それは自分にとっての特別な誰かさん、残してきてしまった誰かさんが
ここにいない寂しさを感じているのです。

動物たちは、みんな一緒に走り回って遊んでいます。
でも、ある日その中の1匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。
その瞳はきらきら輝き、からだは喜びに小刻みに震えはじめます。

突然その子はみんなから離れ、緑の草の上を走りはじめます。
速く、それは速く、飛ぶように。あなたを見つけたのです。
あなたとあなたの友は、再会の喜びに固く抱きあいます。
そしてもう二度と離れたりはしないのです。
幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ、
あなたの両手は愛する動物を優しく愛撫します。

そしてあなたは、信頼にあふれる友の瞳をもう一度のぞき込むのです。
あなたの人生から長い間失われていたけれど、
その心からは一日たりとも消えたことのなかったその瞳を。

 それからあなたたちは、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです。

和訳:YORISUN






虹の橋のたもと
  
  天国とこの世を結ぶ橋がある。

その橋は、様々な色合いから『虹の橋』と呼ばれている。
『虹の橋』の一歩手前には草地や丘、青々とした緑あふれる谷がある。
大切な動物達は、死ぬとその場所へ行くのです。
そこにはいつも食べ物と水があり、気候はいつも暖かいまるで春のようです。

歳をとって、からだが弱っていた者でも、ここへ来て若さを取り戻し、
からだが不自由になっていた者は、元どおりの健康な姿になる。
そして一日中いっしょになって遊んだりしている。
だが、橋のそばにはみんなと様子が異なるものもいるのです。

疲れ果て、飢え、苦しみ、誰にも愛されなかった動物たちです。
他の動物たちが一匹また一匹と、
それぞれの特別なだれかといっしょに橋を渡っていくのを
とても悲しげに眺めているのです。

彼らには特別なだれかなどいない。
生きている間、そんな人間は誰一人現れなかった。
しかし、ある日、動物たちが走ったり遊んだりしていると、
橋への道のかたわらに誰かが立っているのに気づくのです
彼はそこに繰り広げられている友の再会をものほしそうに眺めている。

生きている間、彼は動物と暮らしたことがなかった。
彼は疲れ果て、飢え、苦しみ、だれにも愛されなかったのです。
そんな彼がポツンと立っていると 、愛されたことがない動物が
どうして一人ぼっちなのだろうとそっと近づいてくのです。

すると、なんと不思議な事が・・・・・・・・・。
愛されたことがない動物と愛されたことがない人間が
互いに近づくにつれ、奇跡が起こるのです。
なぜなら、彼らは一緒になるべくして生まれたからだ。
この世では決してめぐりあえなかった特別なだれかと大切な動物として。
今、やっと『虹の橋』のたもとで彼らの魂は出会い、
痛みや悲しみは消え、友はいっしょになるのです。

 そして、いっしょに『虹の橋』をわたり、もう二度と別れる事は無いのです。
by kuruann-mama | 2008-08-31 16:34