街の移り変わり
とことこ。。。あ、ここ?
お馴染の『須崎神社』! くるあんママは、須崎弁天って呼んでる。
中はワンちゃん禁止なので、ママだけ潜入して、パチリ・パチリ…
ママの亡きお祖母ちゃん(明治23年生まれ)の話では、ここは明治の頃、東京湾の湾岸だったので
鳥居が満ち潮の時は海面から
引き潮の時は地上から見えていたんだって。。。(これ↓神社の片隅にある当時のミニ版)
どこかで聞いたような気がするな。。。あ!広島の安芸の宮島・厳島神社?
あ!見て見て! そんなこと書いてありますね。
海辺に面していた頃は、晴れた日には西に富士山、東に千葉の鋸山、北には筑波山 そして
春には辺り一面、桜が咲き乱れる景勝地だったのだそうです。
明治生まれのお祖母ちゃんの父親は、幕末生まれで、その頃のこの地の地図がこれ↓
下の方に八幡様が見えますか?その南側を少し行くと、湾岸が広がっているんですよ。
で、この幕末生まれのお爺さん、この辺りで度々
腰元を連れたどこかのお殿様が、潮干狩りしている姿を目撃したんだって!(゜o゜)
この近くにあるプレート↓ 寛政の改革をした松平定信の
海荘(はまやしき)(海辺の別荘)があったっていうのが
入舟町! 入舟町って、今の永代通り沿い。
ウチのオバちゃんファミリーの巣でもあるんですよ。
もちろん、定信さんとは同時期ではありませんが。
だって松平定信って、あの暴れん坊将軍・吉宗の孫だからね、オバちゃんちのお隣ってことはない!(^_^;)
江東区はどんどんどんどん埋め立てられて行き、上の地図から約100年後、今から50年前位には↓
こんなになっちゃって。。。くっきり見える線は貨物の汽車の線路で、
薄い字の線路は都電という路面電車。
お台場なんて、草ぼうぼうの離れ小島だった頃。
で、そんなこんなの江東区の現在の地図↓
青の…線は、幕末~明治にかけての湾岸では?という亡きお祖母ちゃんの言葉を信じて。
江東区って、すごーく広がっているでしょ? ぐんぐん幅聞かせちゃって。。。(ーー;)
よ~しっ!みんなも大きくなろうね~♪
by kuruann-mama
| 2011-02-03 21:51
| 思い出