くるみとあんずの散歩道

カテゴリ:思い出( 12 )

プレゼントの無い父の日

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舅も実父も亡くしたくるあんママにとって

父の日は思い出に浸る日であり、くるあんパパへのサービス・デーでもあります。

何かプレゼントを。。。と思っていましたが、何も欲しい物がない、というパパなので

パチンコの軍資金少々とマッサージをしてあげました。

それと夕飯はパパの大好きなお蕎麦にします(^^♪
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ママは今でこそ底なし沼のような胃袋を持つ巨大体質ですが、

子供の頃は食も身体も細く、かなり虚弱体質でした。

稀に人並みに食べればお腹を壊し、

風邪を引けば治りが悪く、微熱が続いて1ヶ月も学校を休んだり。。。

来る日も来る日も布団に横たわり、天井を見ている…そんな退屈な暮らしの中で一番の楽しみは

父が仕事から帰って来るその時でした。

無口で、ぶっきら棒で気の利かない父が、寝床で待ちわびる私を見るなり

大きな手足を左右にバタバタ動かし、ひょうきんな動きをしながら近付きます。

そしてキャーキャー喜ぶ私を抱き上げ、頭上高く持ち上げたり、くすぐったり。。。

身をよじって笑い転げる私の後ろから、響き渡る母の怒りのひと言!

「また熱が出たらどーするっ!!」<(`^´)> 慌てて布団に戻される私。

突然抜き足差し足で立ち去る父。そのおどけた後ろ姿を見ながら、布団で口を押さえて笑う私。

毎日同じことを繰り返し、毎日同じ事で笑い、毎日このひと時を楽しみにしていたのでした。

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3人の息子と1人の娘…

そのただひとりの娘なのに、美人の母に似ていない私。子供の頃はよく

「鬼がわらみたいなお父さんにそっくり!」とからかわれました。
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病弱だった私も、年と共に逞しくなり、今では使い減りのしない体質に。。。

同居のオバに、いつも言われます。

「お父さんに似て良かったね。働き者っていう…何よりの宝を貰ったね!」

私はこの、「お父さんに似て…」と言われるのを、

一番嬉しい褒め言葉と受け止めています。

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ありがとう~♪  おとうさん(*^_^*) 
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by kuruann-mama | 2011-06-19 11:53 | 思い出

友人への贈る言葉

一昨年の秋、甥の結婚式に出席すると

思いがけず旧知の人物に遭遇。。。(*^_^*)

くるあん家の子供たちが赤ちゃんの頃から思春期になるまで暮らしていた街の中華料理店。。。

当時は頻繁に通い子供達も可愛がっていただいた、そのお店のご夫婦が

花嫁の両親だった。

スッピンにTシャツで気楽に通っていた当時とは違い、

留袖を着、化粧をして再会したのでお互い一瞬気付かなかったが、声や話し方でピン!(@_@;)

一気に昔にタイムスリップ!大盛り上がりした!

この日を境に、縁が復活。 オバの介護の合間に、店に顔だしすること数回。

いつも恐縮するほど歓迎してくれる。

甥が花嫁の両親を大切にしていることも、嬉しそうに語ってくれた。




黙々と働く頑固一徹な職人肌のお父さんの隣で、愛嬌のある明るいお母さん。。。

いつも彼女を見ていると、この明るさに集まって来る人々が沢山いるに違いない、

きっとお友達がたくさんいるに決まっている、と思っていた。



先週、久しぶりに甥の嫁からの電話で、実家のお母さんが入院しているのを知った。

路上に倒れていたのを発見され、救急車で救命センターに運ばれたという。

心臓が停止して30分以上経っているので、希望は持てない、こと、

これまでのお母さんの人生はお店の切り盛りに忙しく、友達も持てないほどだった、こと、

何でも話せる友達を持ちたい、と常々言っていたこと、

くるあんパパママを慕ってくれていたこと、等々。。。声を詰まらせながら嫁は言う。

お母さんが望んでいた、友人として会ってやってほしい。。。声にならない気持ちが伝わってきた。



でも、会えなかった。

病院は家族でなければ会わせられない、と頑なに拒否。

それまで健康体だった人が突然倒れたことへの不信。。。特別な配慮もあったのかもしれないが。。。



門前払いになったまま、彼女は天国へ旅立ってしまった。

私とあまり変わらない年齢。。。これからのんびりと老後を楽しむ年齢。。。



友達として会いたかったし、付き合いたかった。

何でも言い合える仲になりたかった。

ただ。。。元気な彼女の顔や声を記憶にとどめておけるのは、残される者にとっては有り難くもある。

彼女が一番気にかけていたであろう娘(甥の嫁)や孫の幸せは

誠実な甥に任せておけば安心ではあるのだが、

私も見守っていこうと思っている。

心配ないよ、安心して。。。との言葉を彼女に贈りたい。



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by kuruann-mama | 2011-04-26 09:01 | 思い出

待っています

もう今から11年位前の出来事を、時折ふと思い出してしまいます。

新築間もない頃のくるあん家の玄関前に、見知らぬお婆さんがうずくまっていました。

尋ねると、息子に会いに来た…と言います。

くるあん家は狭い土地の上に建っている上、家の一部を賃貸住宅にしています。

わが家の玄関と向き合う形で、賃貸部分の玄関があり、そこには

単身赴任で地方から越していらした、40代の男性が住んでいました。

お婆さんは言います。

息子への連絡が繋がらないまま尋ねてきたが、留守であること、

息子の部屋の鍵を持っていないこと、等々話すその傍らにはスーパーのビニール袋が二つ。

単身赴任の我が子を手料理で持て成したい親心が溢れていました。

勿論、合いカギはわが家に管理してあるのですが、まず、ご本人に確認してから。。。と

連絡しました。 結果はお婆さんの言うとおり、電話が不通になっています。

仕方なく管理会社に電話をし相談しますと、

本人の承諾なく、親であっても入室を許可すべきでない、と言います。

でも、相手は70代に見えるお年。。。かなり疲れている様子で、玄関前に座り込んで動きません。

息子の帰りをここで待ち続ける…と言い張ります。

どうしよう。。。そのままにして良いのだろうか?

その後、一度は姿が見えなくなったので、息子さんが帰ってきたのか、あるいはご本人が諦めたのか、

と思っていましたら、1時間ほどして、またも元のところに同じようにうずくまっているのです。

表情は硬く、話も同じ。そして

お茶を運んであげたりするうち、少しずつ打ち解けてきたお婆さん。

「わが家で待っていてはいかがですか? トイレも使って下さい」と勧めると

頑なに遠慮していたお婆さんが、徐々に心を開いてくるようになりました。

家に入るなり、トイレ。

そしてあり合わせの食事を出しましたら、かなり空腹だったと見え

息もつかずに平らげました。

その後、静かな口調ではあるのですが、

次から次へとせきを切ったように思い出話がほとばしるのでした。

お婆さんは北九州の炭鉱で有名な地域の出で、その炭鉱が閉山された後も

その地で民宿を営み生計を立てていたこと。

その土地の美しい景色。小川や、山、美味しい食材…素晴らしい故郷の話が次々と語られた後…

家族の話題になりました。お婆さんの生きてきた道は、

ひたすら3人の子供の成長の為に、一生懸命働らく毎日のようでした。

そうして育て上げた子供達。。。

上の二人の子供は、なんとか無難に成長し巣立っていったとはいえ。。。

長男の嫁には遠慮が有り、普段は近付けない。単身赴任している今だからこそ、息子に会える。

真ん中の子は、家業を営む家に嫁ぎ苦労をしている。自分が近付くことで迷惑はかけられない。

3番目の娘は気性が激しく、反抗期には散々手こずった。

その末娘が高校を中退し家出をした時の驚きと悲しみ…

風の便りに翻弄され大阪まで探し回った苦労話。

その子が東京で結婚し、孫が生まれた時は、民宿を休んでまで産後の手伝いに上京したこと、等々。

今迄子供の為にがんばって来た、というその人生。。。

お婆さんはこうした話の間に何回も、

「九州に遊びに来て!」と私の手を取って言ってくれます。

「何もないし、今では民宿もしてはいないけど、家はそのまま残っているから、何日でも

泊まって行って。。。必ず来て。。。」と。

私はお婆さんの話を聞きながら、

「では九州から直接ここに来たのではないのですね?」と聞き、

ここに来る前はどこに身を寄せていたのか尋ねました。それが

17歳で家出をした末娘さんの家なのでしたが、どうもかなり居心地が悪いらしく、

「そこにはいられなくなった。だから今日は息子の所に泊まりたい」と言うのです。

その息子さんには中々連絡が付かないままでしたので、

取り合えず末娘さんに連絡をして報告しなくては…と。。。たぶん思い出せないでしょうが尋ねてみました。

すると意外にも、すらすらと電話番号を答えてくれたのです。


実は、ここまで話を聞きだすのは、かなり大変なことで、あの手この手で探りを入れた結果であり、

私としては上出来なことをしたつもりだったのですが。。。



娘さんの家に電話をしますと。。。

目の前にいる純朴で暖かいお母さんから生まれた人とは思えない、激しい口調の女性でした。

突然いなくなってしまったお母さんを、娘さんは案じていたのでしょう。

家に迎えに来るなり、スゴイ形相で

「何故、警察に連絡しないのよ!」と私に食ってかかり、怯える母親にも

「さっさと帰るのよ!」と怒鳴って連れて帰りました。

お婆さんは振り向きながら私を見、「また会いに来るね」と涙ぐんでいましたが

それっきり来ませんでした。

そして、わが家の玄関前に住んでいる例の男性は、お婆さんの息子さんではありませんでした。

認知症だったのですね。

偶然にも、単身赴任している息子さんに会いたくて放浪するうち、

わが家の玄関先に辿りついてしまったようです。

でも、私は認知症であっても無くてもどうでもいい。お婆さんが好きです。

今も思い出すたび、その故郷の光景が、見てきたかのように目の前に広がります。

心が温まるのです。

息子さんに救いを求めていたお婆さんは、その後どうして暮らしているのでしょう。

末娘さんと、仲良く暮らしているのでしょうか?


私は今でも待っているのです。

あのお婆さんの訪れを。

故郷の話を。

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by kuruann-mama | 2011-04-16 16:08 | 思い出

街の移り変わり

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とことこ。。。あ、ここ?
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お馴染の『須崎神社』!  くるあんママは、須崎弁天って呼んでる。
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中はワンちゃん禁止なので、ママだけ潜入して、パチリ・パチリ…
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ママの亡きお祖母ちゃん(明治23年生まれ)の話では、ここは明治の頃、東京湾の湾岸だったので
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鳥居が満ち潮の時は海面から

引き潮の時は地上から見えていたんだって。。。(これ↓神社の片隅にある当時のミニ版)
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どこかで聞いたような気がするな。。。あ!広島の安芸の宮島・厳島神社?
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あ!見て見て! そんなこと書いてありますね。
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海辺に面していた頃は、晴れた日には西に富士山、東に千葉の鋸山、北には筑波山 そして

春には辺り一面、桜が咲き乱れる景勝地だったのだそうです。
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明治生まれのお祖母ちゃんの父親は、幕末生まれで、その頃のこの地の地図がこれ↓
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下の方に八幡様が見えますか?その南側を少し行くと、湾岸が広がっているんですよ。
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で、この幕末生まれのお爺さん、この辺りで度々

腰元を連れたどこかのお殿様が、潮干狩りしている姿を目撃したんだって!(゜o゜)
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この近くにあるプレート↓ 寛政の改革をした松平定信の
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海荘(はまやしき)(海辺の別荘)があったっていうのが
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入舟町! 入舟町って、今の永代通り沿い。

ウチのオバちゃんファミリーの巣でもあるんですよ。

もちろん、定信さんとは同時期ではありませんが。

だって松平定信って、あの暴れん坊将軍・吉宗の孫だからね、オバちゃんちのお隣ってことはない!(^_^;)

江東区はどんどんどんどん埋め立てられて行き、上の地図から約100年後、今から50年前位には↓
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こんなになっちゃって。。。くっきり見える線は貨物の汽車の線路で、

薄い字の線路は都電という路面電車。

お台場なんて、草ぼうぼうの離れ小島だった頃。

で、そんなこんなの江東区の現在の地図↓ 
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青の…線は、幕末~明治にかけての湾岸では?という亡きお祖母ちゃんの言葉を信じて。

江東区って、すごーく広がっているでしょ? ぐんぐん幅聞かせちゃって。。。(ーー;)


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よ~しっ!みんなも大きくなろうね~♪
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by kuruann-mama | 2011-02-03 21:51 | 思い出

父の思い出

もうすぐ父の日です。

くるあんママの実の父も、パパのお父さん(くるあんジィジ)も天国へ旅立ってしまったので

ここ数年、我が家の父の日は、特別な行事ではなくなってしまいました。

ただ…『パパありがとう~』という意味で、くるあんパパの大好きなお蕎麦を用意したり、

マッサージをしてあげたり、パチンコの軍資金を(いつもよりちょっぴり多めに)手渡す程度です(~_~;)

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そして今日は、くるあんママの実の父の思い出を書いておきたいと思います。



父はとても無口な人だったので、直接自分を語ることは滅多にありませんでした。

晩年は好きなお酒を飲みながら、戦争中の苦労話をポツリポツリと聞かせてくれたくらいです。

ただ…遠い日の記憶をさかのぼってみると、

小さな頃、父の自転車に乗せてもらい、まだ深川らしさ木場らしさの残る町を、風を切って走ったことや、

休みの日には近くの清澄庭園に弟や従弟と共に連れて行ってもらったこと、

縁日には必ず子供達・甥姪を引き連れて行き、馴染の喫茶店に寄り道してはいつも、

「コーシー(?)」を注文し、子供達はホットミルクと『銀紙』と呼んでいた、ホイルに包まれた

チョコレートケーキ(当時、ケーキは珍しかった)を頬ばったこと等を覚えています。



家での父は、時に茶の間の火鉢に栗をくべて焼いてくれました。

ひとつ焼き上がるたびにフ~フ~吹きながら熱い栗の皮を剥いてくれるのが、

私達の楽しく、また興奮するひと時でした。

焼き栗の香ばしい美味しさを、今も忘れることはありません。

父が火鉢に栗をくべるのを見るや、我先にその周りを取り囲み、正座をして待つ子供達。

その目は今か今かと、分厚い父の手から手渡される、一粒の栗の実に注がれています。

一瞬で、与えられた一粒を食べ終わると、また次の分をジィ~~っと待ち続ける。。。

父は父で、そんなチビッコ達の期待の目を楽しむかのように、

「アッチッチー!!!」と、わざと焼けた栗を落とすフリをして、引っくり返ったり。。。

そんな父に四方八方から飛びつきながら、キャーキャー騒ぐ私達。。。

素朴で微笑ましい思い出ばかり、浮かんできます。




子供達を可愛がることと共に、父の趣味であった家族の写真撮影。。。

愛情溢れる写真の数々が、ボロボロになった古いアルバムの中で

今も静かに、私を見守ってくれています。

ありがとう~♪ お父さん♪ たくさんの暖かい思い出、これからも大切にしていきます。
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by kuruann-mama | 2010-06-19 01:12 | 思い出

バアバの旅立ち ② 小さな箱に

バアバの通夜の斎場である地元の葬儀社の建物に着くと、

入口にバアバの名前が書いてあった。

私の実父が亡くなった時、葬儀斎場の入口で父の名前を見たのと同じく

大きなショックを受けた。

だが、一歩建物内に入ると

内部はとてもキレイで明るく、心の痛みを和らげてくれるようだ。

家族葬といえども、5人の子のそれぞれの家族、孫、ひ孫、

バアバのいとこ、弟の嫁、甥、姪、等が集まり、50人余りになった。

みんな身内ばかり。 よそ様のご霊前等は丁重にご辞退申し上げた。

先に亡くなったジィジの、それはたっての希望だったから。

そんな中たった一人、バアバの死を聞きつけて弔問に現れた見知らぬ人がいた。

今では初老のその男性は、

血気盛んな少年時代、学校も行かずに暴れ回っていたところを

バアバに厳しく諭されたのがきっかけで、その後更生したのだという。

いまでは事業を興され、立派な実業家として活躍されている。

バアバへの感謝の言葉とともに手厚く弔ってくださった。



滅多に会わないパパの従兄弟達も、時間をかけて語り合い

みな口々にバアバとの思い出話に花を咲かせ、いつの間にか、

心を一つに通わせていた。




翌日の告別式の後ダビにふされ、激しく気丈なバアバも小さな箱に納められた。

移動の際はクルアンパパの腕の中に抱かれていた。

小さな箱の母を抱くパパの気持ちは、どれほど悲しいものだろう。

私には厳しい姑だったが、最後には無邪気な母になってくれたバアバ…

私はこれからバアバの残して行った大切な家族を守っていきたいと思う。



もう一つ、嬉しいことがあった。

親戚一同集まる中で、我二人の娘が、何かとお褒めを頂戴したのだ。

もちろん社交辞令に違いないのだが、二人とも素直で、可愛い、

気が利く!等と(きっと、ブリッ子していたんだ!)皆さんから言われた。

悲しい席だからこそ、皆さんお気を使われ、明るい話題を投げかけて

下さったのに違いない。

でも、今回に限っては素直に有難く受け止めたいと思う。

こうして、バアバのお陰で、日頃、毒舌合戦を繰り広げている母娘も

この日の所はお品良く過ごした。

いつも、こうでなくちゃ…。


初七日法要も済ませ、今は順調に片付け物をしている。

私は湯呑茶碗一つ見ても、バアバの思い出と重なって辛くなるのだが

パパの長姉が中心になってテキパキ整理整頓してくれている。

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バアバの遺骨は、結局バアバ宅に置かれることになった。

ご近所の方々が引っ切り無しにお焼香に来て下さる。

私達も毎日、誰かが傍にいるようにしている。

バアバも喜んでいると思う。


バアバ亡き後のクルアンコタは。。。

くるみは「く~ん。。。」」と鳴きながら家中バアバを探しまわり、

あんずと小太郎は、バアバのベッドの上でトランポリン代わりに遊んでいる。
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by kuruann-mama | 2009-09-15 18:46 | 思い出

バアバの旅立ち  ①

それは突然やって来た。
昼間いつものように病院へ行き、バアバを見舞う。
初秋を感じてもらおうと、栗味のとろとろした甘いお菓子を口に運ぶ。
思ったほど喜ばない。
飲み良い温度に覚ましたお茶を吸い口で。。。
どちらも飲みこむ力が衰えているのを感じる。ただ…。。。
耳元で尋ねると、ちゃんと声に出して答えてくれた。
はっきりとした受け答えではないが、反応はあった。
また来るね!と約束して帰宅すると、1時間も経たないうちに電話が…。
パパの姉。その声はバアバが緊迫した状態であるのを連想させた。
だがパパは信じない。 たった今、会って来たばかりだ。
元気とは言えないが、今夜が山場とは信じられない。 が、取り合えず
パパだけ病院に駆けつける。 着くなり「今夜は病院に泊まる」とメールが。
バアバが危ない状態なのが、文字数の少ないメールに表れていた。

心配で心が張り裂けそうだが、私には他にもやらなくてはならないことがある。
叔母のこと、クルアンコタのこと…。
不安で身体が震えながらも、いつもの通り、やるべきことをこなし
深夜、入浴後リビングに戻ると、携帯電話に着信ランプが…。
留守電にパパの声。
「今、バアバの呼吸が止まりました…」
淡々としたいつもの声を聞きながら、堰を切ったように涙が溢れ落ちた。


病院は『生きている患者さん』が入院するところであるから、
息を引き取ると同時に、出て行かなくてはならない。
身を清めて頂くと同時に、その夜のうちに自宅へ…。
こうしてバアバは最愛の息子に付き添われ、
帰りたくて仕方が無かった自分の家に、冷たくなって帰宅した。

パパがその夜は、バアバ宅へ泊り
私はいつも通り、自宅でワンコの散歩や叔母の世話、昼食の用意をした後
ようやくバアバの元へ駆けつけた。
驚くほど綺麗な顔のバアバが、横たわっていた。
眠っているような…今にも目を覚ましそうな…安らかな顔だった。
そんな神聖なバアバの周りを、忙しそうに動き回る葬儀屋さん。
亡きクルアンジイジが地元の葬儀社の会員になっていたお陰で
通夜・告別式共に、割安で執り行ってもらえるのだが、
4年前に亡くなったジィジの時と比べると、驚くほどショー化していた。
身体を清める…死出の旅立ちへの装束、棺に納める等々
映画『おくりびと』さながらの儀式が、プロの指導のもと、
私達遺族の手で行われた。
最期の時を、手をかけてあげられた充実感が、悲しみの中にも
安堵感となって、心に沁み渡るひと時だった。

だがその後も次々と役目が待ち構えていた。
火葬場の予約を取る。
混んでいるとかで、特別火葬窯なら2日後に執り行ってくれるという。
もちろん、これで決める。
亡くなった直後にも知らせたが、再度、菩提寺のご住職へ連絡。
最初のご指示の通り、通夜・葬儀の日取りを決定する。
その通夜・葬儀をどのようにすべきか、パパの兄・姉と話し合う。
それぞれの考えや気持ちを考慮したいが、ここは
「ジィジと同じように!」と私が押し切る。
わずか4年の歳月でも、金額が大きく変わっていた。これも
『おくりびと』効果に違いない。だが、バアバの最期の時、
金額の問題に拘っている場合ではない。

翌日の通夜の日。
前夜もパパは、バアバ宅へ泊った。
私は二人の娘の協力のもと、叔母とワンコの世話をした後、
朝早くから出掛けた。
神田にしなくてはならない用事があったのだ。 だが!
その朝、地下鉄東西線。東陽町駅構内で車両点検をしているところに
後続の電車が衝突したとかで、地下鉄が止まっていた!
運転再開までの目途は立たないとのこと。
地上は? バス停は長蛇の列。バスが来ても満員状態。
タクシーも、皆、乗客が。。。車道も歩道も大大大渋滞!!!
「歩こう! 根性のあるバアバに笑われないように!」
すっ飛ばす自転車を避けながら、隅田川大橋を超え、人形町を横切り神田へ。
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バアバの里は、代々の旗本の名家で神田に居を構えていたという。
明治維新で土地家屋を取りあげられ、この隅田川を越えて下町の住人になった。
歩きながら、バアバの人生や先祖へ思いを寄せた。

とんだ時間の無駄遣いをしたが、忙しい方が泣かずにいられる。
一仕事終えた帰り道、デパートでこの日の昼食、叔母の夕飯を見繕い
精一杯両手に荷物を持って、パパと待ち合わせ、車で帰宅。
その後もバタバタ支度をし、家族でバアバ宅へ向かう途中、
クレイジー・シュナ倶楽部の かんすけ母さんからメールが!
なんと今!木場にいらっしゃるという! 長野の自宅から東京へ…
「クルアンバアバにお見舞いを。。。」(@_@;)
なんという有難さ…その優しさに体が震える。。。
だが、この朝の地下鉄不通事件で、私が時間を大幅に使ってしまったので
通夜の斎場への出棺が迫り、時間がオセオセになっていた。
申し訳ないが、こんな事態なので一度はお断りして先を急いだ。
だが! パパも娘たちも言う!
「遠くからお見舞いのお品を持ってきて下さるなんて、
こんなに有難いことはない。バアバの霊前に供えたい。
また、集まった身内の者にも見せてあげたい。
出棺に間に合わなくても、きっと許してもらえる!」と…。
大急ぎで車をUターン!
かんすけ母さんは、一度私の方からお断りのメールをしてしまったので、
再会を諦め、木場公園内の近代美術館で美術鑑賞をしていらした。
こちらの都合で話を変更させ申し訳ないが、メールで知らせ
美術鑑賞を中断していただく。
喪服姿での再会は申し訳ない…でも
優しいかんすけ母さんのこと、きっと許して下さる…
母さんは、駆け寄る私を心配そうに見つめてくれた。
優しいその目を見ただけで、涙が溢れそうになる。
泣いちゃいけない! こんなところで!
時間に追われていたので、ひと言礼を言っただけで失礼した。

車の中で、たった今、手渡された包みを開けてみた。
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頂いたお品には、かんすけ母さんの優しさが滲んでいた。
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くるみやあんずにちなんだお菓子。
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『くるみの初恋』のとなりは『くるみ姫』
バアバが元気でいれば、どんなに喜んで、笑いながら頬ばったことだろう。
話しが弾んで、あの高い声で笑い転げただろう。
いや、きっと、今も私達のそばにいて、笑いながら喜んでいるに違いない。


この後、思いがけず大渋滞に巻き込まれ、大幅に遅刻。
もちろんこれは、致し方の無いこと。
出棺の予定時刻と、通夜の始まる時間まで3時間以上もあるので
普通なら、待っていてくれてもいいと思ったのだが…

バアバの家に着くと、すでに出棺も済み、家の中はシーンと静まり返っていた。
住むものがいない家は、ただの箱物に過ぎないのだということが
実感として伝わってくる。バアバの存在の大きさを感じた。
時間を持て余してしまったので、古いアルバムを持ちだし
パパや娘たちと、思い出に浸る。


バアバと5人の子供たち。 末っ子がクルアンパパ。
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みんなから愛されて育ったというクルアンパパ。セーラー姿。


20代のクルアンバアバ。可愛い~♪
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   イケメンで超お坊ちゃん育ちのクルアンジィジ
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このころは社交ダンスと映画鑑賞、英語が趣味だったという明治生まれのジイジ
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バアバの方が夢中になって、追っかけしていたよう。


年配になってからの二人は、水墨画が趣味のバアバ
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書道が趣味のジイジで、夫婦展を開いたこともある。
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バアバはジィジと同様に、眠るような安らかな最期だったという。



そのことが何よりも、私は嬉しい。 
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by kuruann-mama | 2009-09-12 15:45 | 思い出

夏の終りのクルアンコタ & 一人でお見舞い

『くるみとあんずの散歩道』 というタイトルなのに
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ここのところクルアンコタの散歩のブログアップが滞りがちです。
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でも、3兄弟共に元気にしています。
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散歩も毎朝夕欠かさず出かけ、お友達とも仲良くしています。
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コタは最近男の子のファンが増えて、ちょっと自惚れています。でへへ。。。
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パパとママは、入院中のバアバ(パパのお母さん)のお見舞い中心の毎日。。。

同居のオバちゃん(ママの叔母)もワガママも言わず、協力的で助かります。

バアバは、声をかけても静かに眠り続けている時と、

大きな声でお喋りをしっぱなしの時とあります。

あんなにしっかりしていたのに、突然認知症になってしまい、

「どなたか存じませんが、家に帰して下さい!」から始まり

「こんなとこにいたって、直りはしませんから!さぁ!さぁ!早く!早くう!」 と

両手を伸ばして、置きあがらせて、と幼子のように言い張ります。

もう少し、我慢しようね…、と言い聞かせて帰って来る毎日。。。

自宅に帰してあげたいな。。。と切実に思うのですが、皆それぞれに忙しく、

バアバに付きっきりで介護に当たれるものはいません。

「仕事、辞めたいな…」とつぶやく、クルアンパパ。。。

そばにいてあげたい…胸によぎる思いはママも同じようです。




月末と月始めはパパの仕事が激務のため、ママは一人で電車に乗り病院へ。

大きな旅行カバンに洗濯したタオルをたくさん詰め込み、

鞄の取っ手が肩に食い込むのを我慢しながら

2回電車を乗り換えして、最寄りの駅に辿り着きます。 そして駅からは

降り注ぐ夏の終わりの太陽を浴びながら、汗を拭い拭い、病院へと歩きます。

暑くても、疲れても、元気に生きていられるのは、なんて幸せなのかと

しみじみ感じる今日この頃です。
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by kuruann-mama | 2009-08-28 16:56 | 思い出

悲しいけど、まとまりが。。。

クルアンバアバ(パパのお母さん)が入院して以来、

当然のことながら、私たち家族の病院通いが多くなりました。

自宅で留守を守る同居のオバちゃん(ママの叔母)の食事の用意をし、

慌ただしく病院へ行く日々。。。



ここにきて、ついにバアバの食も途絶え、点滴のみの栄養摂取となりましたが

こうなる前の、やや希望を抱いていた頃、

お見舞いの帰りに、親子揃って外食をしました。

実は、こんな事情が無いと親子で外食は出来ない生活なのです。

同居の叔母は、家で私達と家庭料理を囲むのを一番の楽しみにしているので。。。



でも、今はパパのお母さんの入院という一大事のため、さすがの叔母も

「お母さんに、頑張って! また、お会いしましょう! と伝えて。。。」

と神妙な面持ちで、送り出してくれます。

「ゆっくりしてきていいよ。。。」 とも。。。

そんなことにかこつけて、親子4人で

中華料理店とお寿司屋さんがドッキングしたお店、『深川 太郎』 へ。。。

  (自宅でママお手製の天麩羅と煮物を食べてるオバちゃん、ゴメンネ)


海老とフルーツのマヨネーズ炒め…若い人の選ぶ料理は、ちょっと違う(@_@;)
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わかさぎの唐揚げ
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小籠包と餃子
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ユーミンは五目そば 
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パパはもやしそば
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CHA-ネエとママはお寿司
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とかく行動が一つになり難い、今の家族。。。

我が家だけでなく、パパの兄姉家族もそれぞれに

バアバの入院を機に、まとまりが出てきたような気がします。



バアバの自宅から、書き付けが出てきたそうです。

『兄弟仲良く暮らして下さい』 と書いてあったそうです。

私もいつの日か訪れる最期の時、そんな言葉を娘に送ることでしょう。
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by kuruann-mama | 2009-08-25 18:38 | 思い出

バアバのその後  差し入れ

トコトコ。。。まだ太陽が昇り切る前に、お散歩しているクルアンコタです。
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この橋の上から何羽かのゆりかもめを見かけました。 
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いつもの公園では。。。

「あ!あねきー! ウサちゃんでつよー!」あんず
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「え? どこ?どこぉー?」 くるみ


じゃーん!
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クルアンコタはウサちゃんが大好き♪ でも。。。

「あたちはワンコに関心ありましぇんよっ」 ウサちゃん
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「あ…そうでつか。。。」
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今日も、クルアンバアバ(パパのお母さん)の話。。。

「点滴は辞めて! 食事は1日3回」 というバアバの希望は叶ったのですが、

病院の食事が口に合わない、と言うバアバの為に

バアバ好みの食事をママが作り、パパと一緒に病院へ。。。

途中、走行中の車内から撮影した

建設中の新東京タワー。。。名前、スカイ・ツリーだったかな?。。。
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東京タワーより遥かに高いのだそうで、まだ工事中ですが、土台も大きい!
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病院でのバアバは、大人しくしていました。

元気な時は、やたら口が達者で、憎まれ口も立て板に水のバアバ。

「私には絶対言わない言葉がある!『ごめんなさい』と『ありがとう』と『お願いします』」

決して頭を下げないバアバ。世話になってもその姿勢は変わらず。

そんな生き方を貫くあまり、自宅近くの病院でも、その高圧的発言が敬遠されてか

それとなく入院を断られたバアバ。。。そんな人が静かに横たわっているのを見ただけで

なぜ、こんなに切なくなってしまうのでしょう(;_:)


ママの手料理を、パパがバアバの口に運んであげました。

胡麻豆腐と、里芋の柔らかく似たのと、煮魚を、

「美味しい」と、蚊の鳴くような声で言ってくれました。

あの、うるさいくらい甲高い大声の人が、聞き取れないほど小さな声で

「お腹がビックリしてるよ、美味しい…て 」 と。。。

ママは吸い口のある入れ物にお茶を用意したり、手や口を拭いてあげたり…

話し相手を努めたりして、パパと3人の時間が流れていったのです。

窓の外は、夏の夕日が射していました。


そして病室を去る際、振り向くママに 

あのバアバが 力を振り絞るようにハッキリ声を出したのです。。

「また差し入れ待っています。。。」
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by kuruann-mama | 2009-08-09 15:23 | 思い出